ここにいる理由

日曜日の午後3時。風邪をひいて三日目になるけれど、一歩も部屋から出ていない。こんなにひどいのは何年ぶりだろう。頭がもうろうとして、鼻水と咳が止まらない。寝ることしかしていないのに、相変わらず体はだるい。そんなときに、部屋にノックがあった。カンボジアの地元の教会の牧師夫人ともう一人親しくしているおばさんだった。様子を尋ねたあと、早速二人は手を置いて私のために、そして私の住んでいるこの地域のために祈ってくれた。

祈ってもらいながら、「私の方こそが訪問して祈るべきなのに!」という思いでいっぱいだった。ここ数ヶ月、6人の中高生が不法にも刑務所に入れられるという事件があってから、よく牧師先生の家にいって様子を尋ねたり祈ってりしてきた。でもここ最近プノンペンを出てたこともあり、顔を出せずにいて、行かなきゃと思いつつ結局風邪をひいて寝込んでところだった。そのときに二人が言ってくれた言葉:「チャミはね、家族と離れて一人でカンボジアに来たでしょう。でも主にあって私たちは血がつながった家族なの。大変なとき、試練があるとき、励まし祈ること、それがイエスさまにある家族なんだよ。あなたはカンボジアに仕えに来てくれた。私たちも、多くの外国人がカンボジアに仕えに来てくれる中で、自分たちも他の人に仕えることをしたいと思うようになったし、あなたにも仕えたい。」

私はなぜここにいるんだろう?もし恵みをもっと深く体験し、愛されるていることを知るためなのだったら、私はここにいるべきなのだと思う。でももし何かできると思っているのだったら、周りのカンボジアの人たちのほうがよっぽど仕えるという姿勢を持って実行している。理由はよくわからないけれど、今日風邪でへなちょこになっている私にとって、彼女たちの言葉と祈りはイエスさまの愛そのものだった。弱いとき、私たちは支えられていることをはっきりと知るのだと思った。

言葉

英語教授法を勉強する中で、すごく悩んだのが、英語を教えることって本当によいことなんだろうかということだった。日本では普通の外国語として見られているけれども、国によっては母国語よりも英語のほうが重視される場合がある。国際化の中、英語=仕事、収入、可能性、となってくるからだ。英語の方が優れているわけでは決してない、そのことを伝えたいと思った私は、英語を教えるとしたら、その人たちの母国語をも教えられるようになりたいと強く思った。

今日の宿題クラブでのこと。他のみんなはわいわいがやがや宿題を進める中、学校にほとんど行っていない13歳の女の子が来た。学校で1年だけは勉強したらしいけれど、ほとんど忘れてしまっていたので、教科書を出して、文字を一つ一つ復習した。この子音は?この母音は?二つを足すと、どうやって読むの?ゆっくりと、でも少しずつ読む中で、カンボジアでの1年目一生懸命読み書きを練習したのを思い出した。小学校3、4年生の子たちは私よりすらすら読める。だけれど、この女の子には、私が学んだことを用いて教えることができる。英語ができるから英語を教える。それも一理あるけれど、学ぶという姿勢でカンボジアで過ごし、クメール語を学んだ意義を感じた夜だった。クメール語、カンボジアの人々、カンボジアというこの国。神さまが愛してやまないこの国で。

魂よ歌え〜2012〜

我が魂よ歌え、聖なる神の名を

この女に目を留め、喜び、

貧しい者たちを引き上げ

声なき者たちに言葉を与え

虐げる者たちを退け

満ち足りている者たちに、空になるという祝福を与え

乾いた目に涙という賜物を与え

そして胎の暗闇を選び取り

私たちと同じ身となられた

神の深い想いを歌え

我が魂よ、歌え (Janet Morley ルカ1:39−53マリアの讃歌より 訳みぎわ)

マリアの讃歌を読むと、富める者たちへの祝福はどこにあるのかと、ここ数年思っていた。世界の人々と比べたら、私は富んでいて力がある人の一人。だから私ができることは、虐げられている人たち、貧しい人たちと共に歩むこと、その中で、このクリスマス主がなしてくださったことを共にお祝いすることができると思っていた。

今日この詩を読んで思ったことは、富んでいるもの、満ち足りているものへの祝福は、カラッポになるということ。両手いっぱいから、両手がからっぽになって、初めて赤ちゃんを抱くことができる。物質的にも思想や教育的にも、自分でできるという満ち足りた状況から、初めて、「助けてください」と言えるようになることの祝福なのだと思う。泣いたことのない目から涙があふれるとき、感じたことがなかった魂の叫びが解放される。

2012年、振り返るとカラッポの日々と涙の日々が本当に本当に多かった。イエスさま、あなたがそのカラッポを満たしてくださったことをありがとう。涙を拭ってくれたことをありがとう。このクリスマス、もう一度私の中に生まれてください。

 

世界人権の日と日本国憲法

独立学園高校という職場で憲法を学ぶ機会があんなにあったのに、今更真夜中近くに、現日本国憲法と改正案の読み比べのサイトを見つけて読んだ。日本国憲法はすごいと思う。全文にある以下の箇所:

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し…」

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において…」

「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」

すごい高い理想、かつ本物だと思う。先日、世界人権の日のデモに加わった。100人近くが集まって平和的なデモをしたのだが、かなりの警察がバリケードを作っていて結局ほとんどの人が国道に出ることができなかった。参加者の多くは、不正に土地を奪われた人たち。「人権尊重!」「私たちの人権を認めて!」と叫ぶ人たちと共に立つ中で、私は必死にイエスさまの姿を求めた。不正がまかり通りこのカンボジアで、正義を見る日がくることを祈って。

日本国憲法の改正案を読むと、カンボジアで政府が言っていることと似ていることが書いてあって、空恐ろしくなった。「公共の秩序」その一言で、政府、地位ある人たちの私利私欲のために基本的な人権が踏みにじられている。カンボジアのそんな現状を体験しつつ、憲法と改正案を読み比べる中で、絶対憲法を変えてはいけないと心の底から思った。カンボジアでは評判がよい日本。道路や洪水防止の工事などの援助が本当にありがたがられている。そんな日本が、基本的人権においても、それを国民として擁護し、またカンボジアの人たちの人権のためにも共に戦えればと思う。

(以下のリンクで、今回の憲法改正案がなぜまずいかが読めます)

http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm

(English) On Homecoming

申し訳ありません、このコンテンツはただ今 English のみです。

金曜日の午後に出会うカンボジア人のイエスさま

金曜日の午後は、対外疲れている。一週間があと少しで終わろうとしているけれど、朝のチームミーティングを終えたあと、3時のバイブルスタディーに間に合うように家に帰る。いつものメンバーは、私と、一緒に住んでいるおばさんと、教会のユースが何人、たまに近所の人が加わることもある。今日のまずのニュースは、昨日の夜中3時に起こった事故のニュースだった。友達の家の近くで、車が道路脇の木に突撃したらしい。かなりのスピードで走ってきたのだが、最後の100メートルくらいの間にオートバイをひっかけて引きずってしまい、オートバイに乗っていた人、車の中の人を含めて計4人が亡くなった。友達は、大きな音がしたので、旦那さんと一緒に外に見に行ったそうだが、引きずられた人、車の中にはさまっている人を見てはいてしまったそうだ。救急車が来たが、もうすでに死んでいる場合死体は運ばないということと、まだ生きていても家族が付き添っていない場合は引き取れない(つまりお金を払える保証がない)、と病院に戻っていってしまったそうだ。最近カンボジアでは事故が多いし、病院でのこのようなやり取りはかなりよく聞く話だけれど、今日は特にこの国の腐敗、人権侵害、またコミュニティー内での家族問題、近所の人たちが協力し合っていない状況、などなどのことで既に心が重かったので、余計カンボジアには希望がないような思いになってきてしまった。

そんな中、みんなでまず祈り始めたのだが、そのあと、「イエス我が王」という曲をみんなで(もちろんクメール語で)賛美した。その中で、「私たちが神さまをほめたたえるとき、神が私たちの真中にいてくださり、王となってくださる」という内容の歌詞があるのだが、歌っていて涙が出て来た。望みがないように思える状況の中で、私たちがこの歌を持って賛美するとき、神さまの主権がカンボジアにあることを宣言しているということなんだいうことがすごく心に迫ってきた。今のこの状況を変えるために努力をすることももちろん大切だ。だけれど、主である王であるキリストだけが人の心を変えることができる愛を持っているお方であること、そして既にカンボジアにいてくださり王であられることを、私たちが思い出し、宣言をすることがどれだけ大切なのかを思い出せたときだった。そこからまた希望を持って踏み出せる、そう思った。

いつも疲れてる金曜の午後。でもこのバイブルスタディーが始まったもうすぐ2年だけれど、何度も、この時を通してイエスさまに出会ってきた。クメール語で賛美し、祈り、分かち合う中で、そしてカンボジア人の友人たちを通して、カンボジア人のイエスさまに語られるときが、金曜日の午後3時のときなんだと思う。

 

サーカス鑑賞

土曜日、生まれて初めてサーカスを見に行った。といっても、普通のサーカスとは違ったもので、綱渡りやアクロバット等の曲芸をストーリーの一部とした、ミュージカルに近いものだった。音楽も全て生演奏で、カンボジアの伝統楽器を使ったすごく素敵なものだった。一緒に行ったのは、近所の女の子2人と教会のユース3人。彼女たちは、私の近所の女の子たちの「お姉さん」で、毎週女の子たちに会いに行き、関係を築き、励ましている。もちろん他のみんなも初めてのサーカス、しかも夜のイベントなのですごくおしゃべりでわくわくしていた。私の近所から友人のtuktukに乗せてもらい、にぎわう街を通り抜け、大きなアリーナに向かう。いつも夜は野菜を売っている女の子たちは、目を丸くして過ぎて行く全てを見ている。贅沢なレストラン、大きな車、高い建物。彼女たちの家は今水浸しとなってしまい、少し高台になっているところに、なんとか雨をしのげるほどのビニールシートで作った小屋に住んでいる。既に13、4だけれど、小学校1、2年生の教育しか受けていない。そんな状況を知っている私は、彼女たちがこの貧困のサイクルから抜け出し、教育を受け、よりよい人生を送れることを願う。だけれども、この夜の贅沢な街のようなものがなければ幸せになれないとは思ってほしくない。

サーカス終了後、二人のお母さんたちに約束したとおり、私が個人的に二人を送り届ける。私の家を過ぎて、さらに奥まったところにあるのが彼女たちのコミュニティー。今どんどん埋め立てをし、もう少しで立ち退きになるであろうその場所は、雨期の雨でどろどろになっていて、それでも二人は本当に器用に、なるべく泥がひどくないところを見つけて歩く。明かりは月明かりだけ。もういいから、という二人を無視して、私も後からついていく。辿りついたコミュニティーは、もう既に寝ている人たちもいれば、トランプで賭け事をしている人たちもいた。二人をそれぞれの小屋に送り届け、お母さんたちにあいさつをしてから、また泥の中を通って自分の家に帰る。私の住んでいるところは彼女たちから歩いて5分。今日通り過ぎたような、華やかさとは離れたところにいるからこそ、お互いの生活環境が重なるときもある。でも、私はこんな泥の中を通って、ビニールシートの家に戻って寝なくてもよいところに住んでいる。女の子たち、またその二人を本当にかわいがっている教会のユースの子たちと過ごした夜は、みんなを本当に愛おしいと感じると共に、確実に存在する格差を感じずにはいられなかった。彼女たちと、プノンペンという都会。そして私との間にも。

人であるということ

日曜日の午後。すごく疲れているはずなのに、眠れない。ベッドの上でごろごろしながら詩篇を開けたら、115篇に目が止まった。4節から8節に、人の手で作られた偶像は金や銀でできていて、見ることも話すことも、触れることも感じることも、また歩いてどこかにいくこともできない、と書いてある。さらに、それを作るものも、またそれに信頼するものも、その偶像と同じような者だ、とあった。

ぼわぼわした脳みその中に、ふと2つの想いが浮かんだ。まず一つ目は、私たち自身が 崇拝するものに似てくるということ。お金、忙しさ、恋愛関係、成功、メンツ、そこに自分を失っていくとき、人間らしさも失われて行く。結果、見ることができない、感じることができない、人の手で作られた偶像みたいになっていく。私が、「こうやって生きたい!」と思っているのと真逆の生き方。感じない、見えない、聴こえない、そのような生き方はしたくない。では、そのような生き方へと誘惑する私にとっての偶像とは何だろう?

そしてもう一つ。それは、イエスさまは人となられて、ライ病人に触れ、赦しの言葉を述べ、虐げられている人たちの声を聞き、また休むところがない、と言われたほど様々な場所に出向いていかれた。つい先日なくなった近所のおばあちゃんのことを思うときに、この人となられて人として生きられたイエスさまに私はしがみつく。「あなたのような神さまじゃなきゃダメなんです、私たちの間中にいてくださる方が神さまじゃなきゃ、私たちはやっていけないから。」

今週一週間、色んな人を訪問したり話しを聞いたり、励ましたり共に祈ったりする中で、共に行ってくださるイエスさまに心を重ねたい。それは、私自身が感じない、聴こえない、見えない、人ではない偶像になってしまわないために。

信頼できる病院

つい先日、カンボジアの教会の牧師先生が軽い心臓発作で、緊急病棟に入院した。心臓外科(かな?)の病室で、点滴と心臓のモニターにつながれて疲れきって眠っている先生を見たとき、涙があふれてきた。側に座って祈る、「主よ、この人を癒して下さい。何年もあなたのために生きてきました。ほとんどない中で、でも豊に周りの人に分け与える人です。触れてください。癒してください。」この繰り返し。「神さま信じれば良いものがもらえるよ」とか「富と健康の神学」ではなく、純粋に癒されてほしい、それは彼の生き方を見て来たからでてきた祈りの言葉だった。

数日後、退院して戻ってくることができたので、早速自宅に会いにいった。でも先生と奥さんと話す中で、退院するにあたっても色々大変だったことがわかってきた。3日間、緊急病棟で過ごしたあと、牧師夫人は「主人をどうか退院させてください、」と医者に涙ながら嘆願したのだそうだ。なぜか。それはただ純粋に、いればいるほどお金がかかるから、だった。検査をするたび、点滴を変えるたび、一晩過ごすたび、医療費が加算されていくのだ。国民保険などないこの国では、お金がなければどうやって払えばいいというのだろう?さらに、医療行為が全て本当に必要なのかさえわからないという。医者は、検査が必要だと行ったのだが、でも牧師先生は「この患者は今正常です」と医者たちが話しているのを又聞きしたそうだ。本当に検査は必要なのだろうか?それとも、ただお金儲けのために行っているのだろうか?

自分の医療行為をしている医者を信頼できない。でも自分の今の健康状態も確かではない。これを通して思うことは、貧困とはただ経済的に不足しているということだけではない。自分にとって最も良いと思うことを選択をするための、情報が足りないのだ。だから、貧困と戦いそれから抜け出し、自立のための道を歩むということは、ただ単に必要なお金と家がある、ということだけではない。それは、必要な情報を手に入れ、それを理解し、さらに決断し選択することができる、ということでもあると思うのだ。

 

 

 

今日見つけたこと

カンボジア3年目が始まった。ずっとここにいると、見えなくなってしまうことが多くある。最初はあんなに新鮮に飛び込んできたものが、今も同じようにあるはずなのに、それが見えない、感じない。またここ1年、日本でもここカンボジアでも多くの大変な出来事があった中で、どうしても悲しみや苦しみにとらわれて来てしまった気がする。最近休暇を取ってカンボジアをしばらく出ていたが、その中で教えられたことは、感謝すること。これは薄っぺらい、クリスチャンだから感謝しましょ〜なんていうものではない。周りがぐちゃぐちゃの時に、大きな空を見て気づくこと。また野菜売りの女の子が笑顔で送ってくれること。その一つ一つの中にイエスさまを見いだし、その美しい瞬間を認めて感謝することをしていないと、心が死んでしまう、いわゆる死活問題の感謝ということだ。今年1年、どうなるか全くわからず、うまくやっていけるかも若干心配な中で、今日見つけた感謝できることを挙げたいと思う。

-朝の通勤時間、橋をバイクで下るときの空の色と風

-雨上がりの後の涼しさ、それは暑さや大変なこともいつかは和らぐことを思い出させてくれる

-どうやってか私の近所に迷い込んだ雀たちのチュンチュン声

-夕焼けと共に、各家庭から漂ってくる夕飯のにおい

-話している間手をにぎっていてくれるカンボジア人の大切な友達

-私の名前を大声で呼んで飛びついてきてくれる子供たち

-マーケットでの買い物で、すごく笑顔が素敵で親切な、売り場のおばあちゃん

-寝る前だというのに、スイカを食べさせようとしてくれる私のカンボジアの家族

これを書き出すことで、イスラエルの民がしたように、祭壇を築いているのだと思う。思い出すために。戻ってくるために。そしてイエスさまと、この1年を毎日忠実に歩むために。イエスさまは既にずっと前から、忠実に共に歩んできてくださったのだから、ね。それでは3年目。出発〜!