The Power of Creativity 創造性の持つ力

It’s hard to live life fully when things are hard, unstable, unpredictable. But then there are moments that break through: feeling content in a simple cup of tea, a hug of a friend, a cool breeze, a moment of knowing that you are loved. That’s when music happens, when life breaks through. I know I need to be creative, because a part of me comes alive when I do. The flip side of is, a part of me dies when I don’t. So here is a bit of creativity… a worship song in Japanese I wrote during Lent this year: The Song of Returning Here I am, sitting at your feet Here I am, basking in your voice I am returning to you, for that is where I find freedom Light is dawning, wind and healing are flowing

様々なことが渦巻いているとき、困難に打ち当たり続けるとき、本当にいのちあふれる生き方をするのが難しいときがある。でも、ふとその殻がやぶられて、生きているっていう実感がやってくる。一息ついてお茶を飲むとき。友達が抱きしめてくれるとき。風が夕方ふいていくるとき。愛されてるって思い出すとき。そんなとき、音楽がわき起こる。創造性、何かを創り出すことって、本当に大切なんだと思う。自分が生き返ってくるのがわかる。逆を言うと、創ることをやめるとき、私のどこかが死んでしまうのかもしれない。だから、久しぶりに曲を創ってみました。日本語で、イエスさまを慕ううた。今年の受難節に書いたものです。あなたに戻るときの歌。

 

 

3.11の集まりと女川町復幸祭

3年、そして今

3年前のあの日。何が起こったか。写真、映像、ニュース、統計、証言。頭のレベルでは知っている。もちろん、外部の人間としての限界の中で。

そして、それによってどんなにか私の人生が変わったか。あの日、濁流にのまれる家や街をパソコンの画像で見ながら、涙して祈った。そのときの神さまの答え:「私がこの国を守っている。」それは約束でもある。「この国」が「私の国」に変わった瞬間。

そして2011年、2012年と、被災地支援などを通して石巻や南三陸にいることができた。地元の人から多くを受け、神さまがこの国を愛していることを確信した。私もこの国を愛そう、そう思った。

そして今。3.11を被災地で初めて過ごす。この時期を共に歩むとはどういうことなのだろう?みんなで模索した。会いにいったり、メールしたり、祈ったり、共にいれる場所を作ったり。歌ったり、話したり、話を聞いたり。それがほんとうによかったのかどうかは、被災した大切な友達の一人一人にまた聞いてみなければわからない。でも私にとって、その日は東日本大震災の日、ではなかった。それは、今石巻や女川で生きている人の現状を受け止める日だった。今日やっと泣ける日がきたこと。心の傷が癒えるプロセスがそれぞれ違うこと。子どもたちへの心配。町に人がほんとうに戻ってくるのかどうか。今まで人を助けてきたけれど、もう疲れたから自分のことをしてこうかな、という葛藤。将来への不安。行政の方針でかさ上げする地域にあった家が壊されてしまったという悲しみ。子供たちが巣だっていったあとの空っぽの我が家。

ニュースに取り上げられるような、目立ったことではなくて、今の日常。それが浮き彫りになるのが3.11なのだと思う。私がここに呼ばれてきたのは、天からの声が降ってきたからでもなく、ここにいる人たちに嘆願されたからでもなく、ここにいたいと思ったから。そしてその日常を共に生きたいと思ったから。それが私の3.11のストーリーの一部なのだと思う。内面の旅路は回りくどいこともあって、今どこにいるかわからないときもあるけれど、今からだがここにあって、ここに生きているということはほんとうにすごいことだと思う。今ここにいる、という奇跡。それを普通の毎日の中で生きることができるようになりたい。

 

 

釜ヶ崎と福音:たまに頭を叩き割りたくなることがある

最近いただいた本田神父の本、釜ヶ崎と福音を読んでいる。炊き出しを配る側と並ぶ側、どちらにイエスさまは立っているだろう?それは並ぶ側。そういう切り口で始まった本だ。貧しいものの中にこそイエスさまがいるというのは、自分の福音理解のここ数年の転換の中にもあるものだけれど、はっとさせられることが沢山あった。まず、本田神父がカトリック信徒として、そして神父になるにあたっても、「良い子症候群」で来たということ。そして釜ヶ崎を訪問したときも、「自分が愛を持ってホームレスの人に仕えてます」ということを他の人に見てもらうように意識していたということ。初めて私がバンクーバーの片隅を訪問したときを思い出した。

へりくだるということ、その人たちと同じようになるということ。この中にも、ある種の偏見があるという。それは、そもそもへりくだる前に、「高い地位」にいることができる人が言う言葉であって、もともと底辺にいる人たちは好きでへりくだっているのではない。自分が「貧しくなろう」としても、それは高慢な想いの裏返しなのかもしれない。だから、大切なことは、その人生の仲間や先輩に学ぶということ、聴くということだと書いてある。

今私はカンボジアでの活動報告とこれからの被災地での活動について、教会や学校などで話をさせていただいている。その中で、自分の姿勢を問われる。毎回世界の貧困の現状と、スラムでの活動、そして個人的な証を入れて話す中で、それが形式化してしまっているときがある。またジレンマとして、ラディカルに出て行って、全てを捧げて貧しい人と共に生きる、という生き方を伝えたいのと共に、今できること、与えられた環境で寄り添える人と共に生きたり、自分のできることを今しよう、という両方が自分の中でぐちゃぐちゃになってるときもある。

「すごいですね」と言われることが本当にいやだ。貧困なんて、どうだっていい。って思うときだってある。自己中心的に生活したいと思うときもある。偽善だって、まだ解決してないもやもやだってある。でもそれを隠して押し殺していいことなんて何もないってことが、ここ数年学んだこと。まずそれを認めてあげる。そうしたときに、そんな私をイエスさまが愛してくださっているのを思い出す。そして、今まで本当に多くの人たちに愛をもらってきたことを。バンクーバーで出会ったあの女性。私を信頼してくれた友人。貧しさの中で、「神のご加護がありますように」と言ってくれた近所のおばさん。今日のぐちゃぐちゃした気持ちで言えることは、一言。

ありがとう。

本当の和解とは

「皆さん。私の心は…痛んでいます。」そう話してくださったのは、長い白髪を束ね、額には三つ編みの飾りをつけた、カナダの先住民族の男性でした。

今バンクーバーでは、真実和解委員会による催しものが行われています。カナダは、先住民族の人たちの土地を奪い、多くの非人道的なことを行いましたが、その一部が全寮制の施設と学校でした。子供たちは幼いときから家族たちと離され、先住民の文化は恥だと教えられ、また体罰を受けたり、ときには性的虐待を経験しました。150年も続いたこの学校により、7世代もの人たちが心と体に傷を受け、様々な中毒問題、自殺、うつ病、自尊心の損失、家族関係の崩壊などの問題を今でも背負っています。私は今日、実際にこの制度により傷をおった10人の人たちの証言を聴くことができました。涙を流しながら、話す方も聴く方も、魂をさらけ出すときでした。

この現実をうけて、本当に和解するにはどうすればいいのでしょうか?

今日話してくださったある人が言っていたことば。「私は今日赦します。そのことにより、この負い目から解き放たれます。だから、私を傷つけたシスターも、この負い目から解き放たれてください。」非人間的なことが行われるとき、傷を負うのは被害者だけでなく、加害者の人間性も失われていく。その中で、本当の許し、癒し、和解は、その事柄を認め、受け入れ、そしてその縄目から解放されて、同じ人と人として接するときに生まれるのだと思いました。怒りや悲しみを表現しながらも、多くの人が、「今日聴いてくださってありがとうございました、皆さんがここにいてくださることが私にとっての大きな励ましです。」と言っておられました。

私は、カナダ人ではありません。でも、今日同じ人間として、あの場所にいて証言を聴くことによって、私の中に潜む加害者、そして私の中に痛む被害者を見ることができました。彼らにおこったことは決して遠いことではないからです。日本もアイヌの人たちに対して同じような歴史を持っています。また、今世界でおこっている事柄で、少数派の人たちが攻撃され、圧力をかけられていることも、皆つながっているのです。彼らの中に私がいる。まずそう認識することが、和解の一歩なのかもしれません。

一年半経って-石巻を訪問してー

帰国した〜!なんか不思議な気持ち。帰ってきてみると、ずっとここにいた気になったりもする。まだ落ち着いて普通の生活が始まるには数ヶ月あるけれど、とりあえず、帰ってこれてよかったし、ほっとしてる。

先日、石巻を訪問した。2011年、9月から12月、支援活動をしていた場所に戻れるなんて、ある意味まだ信じられない。この28年間、移動の度に私がしてきたことは、今までの場所に別れを告げて、新しい場所に行くことだった。今までいた場所にまた戻って生活するなんて、したこともなかった。でも今年の11月から、また石巻で活動する。今までの自分には無理だったことが、これからおころうとしている、そんな気がする。

友達と一緒に、ある方のお宅でのバーベキューに参加した。サマリタンズパースで修復させていただいた方の家だった。すごいごちそうが並ぶ。わかめの佃煮、採りたてのきゅうりと枝豆、焼き肉はもちろん、海の幸(毛ガニ、ほたて、以下、等々おいし〜〜〜〜!)、ビール。みんなでウッドデッキに座ってわいわいしながら、夕日を見た。2年前きたときは、本当にひどい状態だった。今では、新地になってたり、新しい建物が建っていたり、一回の修復と改築を終えてすんでいる人もいたり。すごいなと思ったことは、あの津波を生き抜いてきて、そして感謝の言葉があるということだった。「津波なかったら、みんなと会えてなかったもんね〜。」「キリストさんたちは、本当によく助けてくれたんだよね。」等々。普通に周りにクリスチャンがいる、そんな毎日。

まだクリスチャンではない人が、福音の真髄を語る。

旦那さん:「いやあ、俺はね、まず稼いで食べ手かなきゃいけないからなあ(みんなみたいにすべて投げ捨てて被災地でひと助けってわけにはいかないということ)。」

奥さん:「でもね、クリスチャンの犠牲っていうのは、足りない中でもそれでも分け与えるっていうんだよ。」

本当にそうです、ってうなずく。逆に私が教えられる。この中に、イエスさまがいる。受肉されて生きている。そのことを感じる。

暗くなると、近くに最近建てられた教会の十字架の電気がつく。その光が希望の印だとみんな言っていた。いがいと石巻の新デートスポットになるかもしれない、ってね。

「なんで石巻なんかにまたくるの?仕事も何もないのに?」

こう言うしかないんだな:「何度もここでイエスさまに出会い、そしてこれからも出会いたいから。」

失って気づくもの

ここ1ヶ月の間、メモリアルサービスに2回参加した。両方とも、個人的には知らない方たちだったけれど、私の周りの友人たちの多くが彼らと親しくしていた。そしてどちらとも、突然訪れた予期せぬ死。こんなにも急に、そして乱暴に死は時には奪って行くことを痛感した。でも悲しみの中でも語られた多くの言葉は、すごく励まされることが多かった。彼らがどう生きたか、どのような賜物を持っていて、穏やかさ、明るさ、人と分かち合う心、冒険心、精一杯自分らしく生きる生き方、それらの一つ一つが、彼らがどんなに美しい人たちであったかの証だった。失って初めて気づくことって多いと思う。その物事、場所、人を失う前に全く気づかないわけではないけれど、当たり前になってしまった毎日の中で、その人の持っている特別の輝きが普通の出来事になってしまうのだ。

きのうある写真展に行った。「生きるとは。。。」という題名の写真展は、プノンペンの日常を何枚もの写真に収めそれをかなり実物大に近い大きさにしたものだった。屋台で朝飯を食べる人。バイクに乗っている若い女性。雨の中で遊ぶ子供たち。廃品回収の合間に子供にご飯を食べさせるお母さん。市場で肉を売る人。建物の取り壊しをしている労働者。シンナーを吸っているティーン。はっとさせらたのは、どんなに色とりどりの毎日がそこにあったかということ。私が住んでいる日常は、こんなに色があふれていて、人々はこんなにも豊かな感情やストーリーを生きているんだということに、びっくりした。そのとき思ったことが、「アーティストとは、日常に埋もれてしまっている美しいものにもう一度出会わせてくれる人たちなんだ」ということだった。見えなくなってしまったもの、聴こえなくなってしまった音。

あと3週間でカンボジアを去る。失うものは多くある。でも失う前に、自分の周りにある日常の中に美しい出来事、人々に目を留めてそれを喜びの源としてここをでていきたい。

 

 

(English) How to be PC (politically correct, not the computer)

申し訳ありません、このコンテンツはただ今 English のみです。

土曜の朝

朝起きたら9時だった。言い訳は、ただ単に昨日寝るのが遅かったっていうそれだけ。夜更かしするのにまともな理由があれば別にいい。レポートを終わらせてたとか、友達が緊急の用件で電話してきて、相談に乗ってたとか。さっさと寝ればいいのに、それが面倒くさくてどうでもいいことをしていたというただそれだけだったから、朝起きて頭がぼーっとして体が重くても仕方がない。せっかくの休みの土曜日なのに、何をしたいかも思いつかない。とりあえず部屋の外に出て、ベッド兼ベンチに座ってぼーっとして外を見ていたら、ぴょんぴょん跳ねてる子たちがいる。近所の4人組で、宿題クラブにたまーに顔を出す子たち。最近は学校もさぼってるようだ。廃品回収の帰りらしく、カラッポの袋に下半身をいれて飛びながら遊んでる。思わず笑ってしまった。1時間後、ようやく少し部屋を片付けてバイクで出かけた。近所のマーケットを通ったら、いつも折り紙を一緒にする女の子が、お母さんに髪を結ってもらっていた。微笑ましい。さらにその少し後に、しばらく会ってない教会のユースを見かけた。通りすがりに声をかけたら、すごく素敵な笑顔を返してくれた。そして、さっきガソスタでガソリンを入れ終わって、キャップを閉めていたら、仕事中の男の子二人がふざけてじゃれ合ってた。

深呼吸をする。

どうでもいいことごにょごにょ考えるより、こういう一瞬一瞬の美しいこと、きらきら輝いている瞬間を受け取ったほうがよっぽどいい。早く寝ればよかったとか、半日無駄にしたとか、ジム行けなかったなとかそんなことどうでもいいんだって思い出させてくれるカンボジア。ほんと好きだなって思う。ありがとう。

友達だから

さっき久しぶりに近所のお姉さんの家に遊びに行ってきた。毎朝お粥を売っているところをバイクで通るから顔は合わせるけど、最近はずっと行けてなかったから、ゆっくりと話しができてうれしかった。お姉さんと、家族と知り合ってもう3年になる。すごく素敵な家族だ。4年生の女の子と3歳の男の子、そして旦那さんのお父さんお母さんも近くに住んでいるので知り合いだ。カンボジアに来た当初、毎日のように遊びに行ってクメール語を練習したり、カンボジアの風習や仏教について教えてもらったり、子供と一緒に折り紙をしていた。そして今日、7月に日本に帰ることを決めたことを伝えた。どんなに悲しいか、そしてどんなにこの友情がお互いに大切かを話す機会になった。

そんな中、はっとさせられたことがあった。近所の人で、なぜ彼女と日本人の女性が仲良くしているのかを不思議がる人がいたそうだ。その人は、「あの日本人の人は、キリスト教に勧誘しようとしてくるの?」とお姉さんに聞いたそうだ。彼女はこう答えた:「違うのよ、ただ友達から遊びにくるの。宗教に勧誘されたことなんか一度もないわよ。」その言葉を聞いて、泣きたいほどうれしかった。私はこの家族が大好きだ。そして、自分のことをシェアする中で、もちろんイエスさまの愛についても言う。そして彼女も、自分の仏教の信仰について話してくれる。でも根底にあるものは、純粋に友達だということ。そうなのだ。そしてその願いが、邪魔されることなく、お互いがそれを願い、それを受け止められたことが、すごくうれしかった。「宗教が違っても、こうやって友達になれるってすごく素敵なことよね。」そう言ってくれた彼女との関係を、残された日々大切にしたいと思う。